洞穴暮らしのすすめ

食う、寝る、遊ぶ、ちょっと働くの「洞穴暮らし」 !!

効率主義社会に生きる非効率至上主義者たち

こんにちは。じんべえです。

洞窟暮らしを目指すため、ライフスタイルやらなんやらをそのときの思いつきでつらつら書こうと思っています。

 

…にしても生きにくい世の中ですねー!

 

私はだいぶ前に精神を病んでおりまして、

以後ずっと低空飛行を続けているのですが。

 

と、言うことで人一倍その「生きにくさ」を感じてしまうのです。

 

逆に「給料は増える見込みが無い」「年金もらえるの?」「どんどん決まりや制度が出来てきつきつになっていく」といった不安だらけの世の中で、よくみんな普通のフリして働いていられるなあと思ったりもします。

 

おそらく、あえて鈍感になり考えないようにしているか、もともと(いい意味で)鈍感なのでしょう。

 

うらやましい!!

 

ただ、ちょっと敏感な人が感じてしまうのが、おそらく

 

「そんなシャカリキに働いて得られるものってこんなもの?」

「なんかもっと生きているって実感が欲しいのだけれど…」

「このまま気づいたら定年!?」

「子供の頃はもっと夢であふれてたはずなのに」

 

などと言ったようなことかと。

 

あたらずとも遠からず。

生きにくさはこのあたりが発生源ではないでしょうか。

 

 

そんな人たちに社会で襲い掛かってくる呪文の一つが「効率主義社会」において威力を発揮する「費用対効果」です。

 

これはガツンと精神的ダメージを与える毒薬です。

 

 

 

そもそも誰のための費用対効果?

ではその費用対効果。誰のためのものなのでしょう?

一番は企業でしょう。と、言いますか企業以外に無いでしょう。つまりは雇用側です。

 

費用対効果、費用対効果と良く聞きますが、皆さんが苦労をし効果を得たとして、その得たものはみなさんに帰ってくるのでしょうか?

 

世界恐慌とも称される世界経済において、企業は生き残りをかけるために富を溜め込んでおかなければなりません。組織はあなたたちより前に組織を優先します。

 

企業も「法人」と言う人格をリアルに持っているとしましょう。そうなると社会一般の個人と同様に自分がかわいいのは当然で、他の人を蹴り落としてでも自らの安全を守るでしょう。

 

「昔はおおらかな時代だった」

 

昭和回顧主義者からそんな言葉を良く聞きます。

 

費用対効果の考え方はあったはずですが、

まだまだ無駄が多かった時代。

 

日本の伝統として当時の(今もですが)拘束時間は長かったかもしれません。

でも、チェック体制の甘さなどから、みなさん「うまく」サボっていたからでしょう。

 

よく日本の会社は欧米諸国に比べて効率が悪すぎると言われます。

その劣等感からか「費用対効果」を口々に叫ぶ企業が出てきました。

 

でも、おい、まてよ・・・と。

 

費用対効果を高めるということは、

労働時間をなるべく少なくし、利益をなるべく上げる

ことです。

 

ですが、日本では

費用対効果を高める」≒「人件費をなるべく少なくし、利益をなるべく上げる

になっていないると思うのです。

 

結果、

人手が足りなく、拘束時間が長く

なおかつ(本当の意味での)費用対効果も低く、給与も少ない

 ことに陥っているのです。

 

 

非効率主義者たち

でも待ってください。 

 

とある社会が形成されていたとして、

効率が悪かろうが、労働し続けなければならなかろうが、

「食べるため」「住むため」など生き死ににかかわる頃は

それを受け入れざるをえませんでした。

 

だって、死んじゃいますもん。

 

でも、幸いにも今そんな時代でしょうか?

 

単位面積当たりの食糧生産率は1000年前と比べ物にならないほど上昇しています。

 

世界には飢餓で苦しむ人たちがたくさん居ますが、 食糧の分配がうまくいっていないためのものです。

 

効率主義とは言わば、常に上昇し続けなければ成り立たないものですが、

頭打ちはいずれ来ます。と、言いますかもう来ているのでは無いでしょうか。

 

そこで考えを新たにした人たちが出てきました。

 

非効率主義者です。

 

そこまでしなくても大丈夫じゃない?

 

と、彼らはある程度のところで折り合いをつけようとする生き方をしています。

 

 

 一個人の費用対効果で非効率主義者の考え方を見てみましょう。

 

8時間勤務で月10日月収10万円の仕事

16時間勤務で月25日月収100万円の仕事

 

が、あったとします。

時給換算すると①は時給1250円。

②は2500円で費用対効果は②が圧倒的に高いです。

 

 

しかし、非効率主義者たちはそのような選択肢があったとしたら

間違いなく①を選ぶような人たちです。

 

時間は誰でも平等の一月約720時間。

 

そのうち1/8の80時間を労働に充て、残りの87.5%の時間を自由に過ごす①か。

半分以上の400時間を労働に充て、残りの45%をやりくりする②か。

 

人生を「費用」と捉えるならば明らかに給与(効果)は②が勝っています。

 

ただそれは数字上の話になります。

 

人生は時給じゃない

 

と言う言葉を耳にしますが、まさに数字上に出てこないところに価値を見出している人たちが「非効率主義者」と言えるでしょう。

 

「10万円稼ごうが100万円稼ごうが生き死にまでの話にはならない。

それなら10万円で余暇があった方がいい。」

 

と。

 

人生の豊かさとは余暇など一見非効率とも見えるの時間的な部分によるものが重要だと思うのです。

 

非効率ほど人生に奥行きを与える、そんな気がしてなりません。